最後に、せっかくなので「結局大人はなにがしたいのか?どうなりたいのか?」と考えてみました。すると、「大人の目的」といっても良さそうな、1つの結論が見えてきました。
「大人の要素」 | 「大人の目的」 |
自分の心の
コントロールができる |
社会でうまく (健全で良好な人生) |
社会にとって
健全な考え方ができる |
|
自分の役割を
果たそうと行動できる |
大人はなんでわざわざ自分の心をコントロールしたり、健全な考え方を持とうとしたり、自分の役割を果たそうとしたりするのでしょう?これらができないとなにか困るのでしょうか?
その答えはきっと、これらができないと「社会でうまく幸せに生きていくのが難しい」からでしょう。
自分をコントロールできないと、一時の感情に走ってしまったり正しく判断することができなかったりするかもしれません。また、良識が足りなかったり自分の役割を果たせなかったりすると、その社会でひとに迷惑をかけたり信用や信頼を失ってしまうかもしれません。
しかし逆にこれらのことができれば、その社会の一員としてうまく生きていくことが、きっと難しくはなくなってくるでしょう。そしてその先で、できない場合よりも「健全な・良好な・幸せな」人生を送れる可能性が高くなってくる、そんなふうにも考えられるのではないでしょうか。
「うまくいかない より うまくいく」ほうがいいはずです。「つまらない より たのしい」ほうがいいはずです。「不幸せ より 幸せ」のほうがいいはずです。すこし強引ですが、だからきっと、「大人」になるほうがいいんです。
ひとは必ずなにかしらの社会の中で生きています。ひとが2人以上でなにか活動しているなら、そこにはじゅうぶん社会があるからです。会社や学校、スポーツチームだってそうでしょうし、さらに広く考えれば、家族・友人・恋人同士だってひとつの社会といえるでしょう。
社会でうまく生きるとは、人と共にうまく生きるということです。そして、社会は誰か一人ではなくみんなが幸せであって、やっとうまく成り立つものです。これはどんな国でもおんなじことでしょう。
そんな中、わたしたち日本人は自分たちの社会を保つのがとても上手です。平成23年3月におきた東日本大震災では、大規模な災害にも関わらず多くの方がお互いを気づかい助け合い、その混乱の少なさや秩序の高さに多くの国がおどろきました。
「和のこころ」「お互い様」というコトバがありますが、日本ほど広い意味をもつ「大人 -オトナ-」も世界にそうそうありません。「大人=成長した」「大人=責任ある」そういう意味でとらえられる国はときどきありますが、わざわざ「自律」や「良識」まで意味に含んでいる国って、そんなにたくさんはありません。
わたしたち日本人の文化や心のあり方を養っているひとつの要素には、こんなふうに脈々と受け継がれている「大人」という考え方もあるんだと思います。わたしたち日本人のいう「大人」って、他の国よりもちょっとカッコいいんですね。
こんなふうに、3つの「大人の要素」から「大人の目的」を考えてみました。「大人って、なんだか大変で面倒くさそう」と思っていた方も、こんなふうに「意外と有意義なんだ」「もうちょっと大人になってみよ」そんなふうに思っていただければ幸いです。
では、大人の定義をまとめてみようと思います。